『 いつかは自分の建築を。』

30代から建築士を目指し、奮闘する日々の記録

MENU

初めての「不可」。

前の記事にも書きましたが、先日初めての「不可」をもらいました。

いわゆる「単位あげないよ」ってことです。

内容は以下の通りです。

  1. 今回の履修内容
  2. なぜ「不可」だったのか

 

1.今回の履修内容

 

今回の履修内容は、自宅課題のうちの<レポートと試験で合格する科目>です。

大まかな内容は、

建築史の中である10年代を切り取り、時代性を描写し、オリジナルの仮説も盛り込んだ上で論述するレポートです。

 

これ以上の詳細は大学側の権利云々に抵触するので書きませんが、だいたい3000字くらいを目安に上記のレポートを作成する課題でした。

このレポートに合格すれば、次は試験を受けて、ようやく単位取得!

のはずでしたが、、、

レポートの結果は不可。

 

2.なぜ「不可」だったのか

 

なぜ「不可」だったのかを論ずる前に、まずどういった姿勢でこのレポートに取り組んだかについてまとめます。

 

まず、与えられたベースとなる建築近代史の教科書を一通り読みました。

完全に習得したというよりは、近代建築史の流れをつかむことができた程度の読み込みです。

 

その上で、自分が論述したい年代を選出、そして参考となる文献を集めました。

 

自分なりの仮説も弱いなりに盛り込んで、体裁を整えての提出をしました。

 

自分の中では、採点は低くても「不可」にはならないだろう程度の完成度でした。

 

しかし返ってきた結果は不可。

 

添削の説明文がついてますので、簡単にまとめると

・全体的な議論の展開が大雑把

・資料の活用が十分ではない

・自分で設定したテーマから外れている

・仮説が説得力がない

といった内容でした。

正直、最初この添削文を読んだときは「それは採点側の裁量では?」と思ってしまったのですが、それは大きな間違いでした。

よくよく考えると、採点側にはスタンダードな基準が必ずあり、むしろ勝手な解釈で合格ラインの裁量を決めていたのは私だったのです。

今回なぜ「不可」になってしまったのか、個人的要因を考えてみました。

 

①「慣れ」が生まれていた

人間とは弱い生き物で、慣れ始めた頃に、調子に乗って気を抜いてしまうものです。

車の運転もそうですが、免許取り立ての頃は最善の注意を払い常に緊張感を持って運転していましたが、慣れてくるとついついそういった気持ちを忘れ、考え事なんかしながら運転してしまうようになります。

今回はまさにそうでした。

週末授業と自宅学習の作品課題をいくつかこなしてきて、それなりの成績で単位を習得してきたことによって、履修に対する姿勢が「授業を受ければ、提出すれば単位を取れるだろう」というものになっていたのです。

入学して時間が経ち、慣れが生じてしまったことにより、いつの間にか甘い考えに陥っていました。

 

②十分な時間をかけなかった

①の心持ちだった私は今回のレポートにそこまで時間をかけませんでした。

入学当初の私だったら、先に論述の展開をまとめ、自分の仮説の事実性を検証し、そこから文章を書き始め、推敲を重ね提出に至っていたはずです。

しかし、今回はなんとなく頭の中に展開を思い浮かべ、文章を書きながら考えていくというやり方をしてしまいました。だから論述はあっちこっちに飛ぶようなものになっており、ろくな推敲もしなかったことで、その論述バラバラレポートはそのまま提出されたのです。

 

③自分の勝手な合格ライン

最後は前述した通り、自分で勝手な合格ラインを決めていたこと。

そんなことは絶対にわからないのに、「この程度で単位はもらえるだろう」とタカをくくっていました。

運転でいう「だろう運転」です。

この勝手な合格ラインの設定には今後気をつけなければと思いました。

逆にどれだけクオリティを上げても合格するとは限らないという姿勢で全ての課題に取り組まなければならないと思いました。

 

とにかく、割と早い段階で「不可」をもらったのは不幸中の幸いでした。

上記の自分のダメな部分に気づかせてもらえたからです。

 

どの分野においても「初心忘れるべからず」ですね。

 

お尻をひっぱたいてくれた添削の先生に感謝です。

 

おわり